東京高等裁判所 平成9年(ネ)128号 判決 1997年12月25日
控訴人 甲野太郎
右訴訟代理人弁護士 垰野兪
同 横塚章
同 岡田健一
被控訴人 乙山春男 外一名
右両名訴訟代理人弁護士 木澤克之
同 藤原浩
同 石島美也子
同 鈴木道夫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは控訴人に対し、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年五月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。(控訴人は、原審における請求をこのように減縮した。)
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 被控訴人ら
主文と同旨
第二事案の概要
事案の概要は、次のとおり訂正し、当審における当事者双方の主張を付加するほかは、原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」と同じであるから、これを引用する。
(訂正)
一一頁一行目の「者」を「もの」と改める。
(当審における当事者双方の主張)
一 控訴人
1 原判決は、名誉感情侵害による不法行為が成立する場合として、「当該行為がされた状況下においてそれが持つ客観的な意味が、相手方の人格的価値等を全く無価値なものであるとしてこれを否定するものであるか、その程度が著しいなど、違法性が強度で、社会通念上到底容認し得ないものである場合であり、実際上は加害の意思を持って甚だしい人格攻撃を行ったような場合に限られる」とした(以下「基準A」という。)。右は、名誉感情侵害の場合には、原判決が判示するように、侵害の態様、程度等からみて社会通念上許される限度を超える侵害がある場合との原判決の判示を前提とし、その具体的基準を設定したものと解される。しかし、社会通念上許されるか否かという問題は、一般市民の普通の感覚を基準として容認し得るか否かということであって、全く無価値なものであるとしてこれを否定するとか、社会通念上到底容認し得ない等の極限的に高度な違法性が内在しているものではない。
そもそも、名誉毀損の場合には、社会的評価低下の事実があれば、原則として違法性が肯定されるのに対し、名誉感情侵害の場合には、侵害の態様、程度等からみて社会通念上許される限度を超える侵害がある場合、換言すると一般市民の普通の感覚を基準として容認し得ない場合に不法行為が成立するものとされており、既に成立する場合を限定して解釈されているのである。したがって、名誉感情侵害による不法行為が成立する場合を基準化するには、侵害の態様、程度等からみて社会通念上許される限度を超える侵害がある場合として要求されているレベルにおいて具体的に基準化するべきであるにもかかわらず、原判決は、そのレベルを超えて更に高度の限定をしたものであるから、民法七一〇条の解釈を誤ったものである。
また、原判決は、名誉感情侵害の場合に加害意思を要求しているが、不法行為成立の要件としては、故意又は過失で足り、一律に加害意思を要件とするのは誤りである。
2 原判決は、学者の研究に対し、「加害の意思を持ってその研究の価値を全く否定し、あるいはその研究を行うに当たって当該学者が果たした役割を全く否定するような行為は、不法行為を構成するものと解するのが相当である」とした(以下「基準B」という。)。そして、基準Aは、「人格的価値等を無価値なものとして否定する程度が著しい」場合まで含んでいるのに対し、基準Bは、研究の価値あるいは研究の際に果たした役割を「全く否定」した場合にのみ不法行為の成立が肯定されるというのであり、基準Aよりも、不法行為の成立する場合を限定している。しかし、原判決も判示するとおり、学者の研究の成果も人格的価値に準じてとらえることができ、学者の研究に関する場合も人格的価値に関する場合とを区別する格別の理由はないから、学者の研究に関する場合に、人格的価値に関する基準Aのレベルを超えてさらに高度の限定を加えるのは論理的に飛躍があり、民法七一〇条の解釈を誤ったものである。
3 原判決は研究(一)及び(二)の実験に被控訴人らが関与したと認定した。しかし、研究(一)及び(二)の実験データは、昭和五一年にS大学において実施された同一の実験データを使用しているものであり、当時被控訴人らが在籍していたW大学において実施された実験データは一切使用されておらず、しかも被控訴人丙山は昭和五二年から本件研究グループに参加したから、被控訴人らが昭和五一年に実施された実験に関与していることはあり得ない。
4 原判決は、被控訴人乙山が控訴人に対して研究(一)の研究内容を指示した旨認定し、これを主たる理由として、被控訴人乙山が研究(一)及びほぼ同内容の研究(二)の総括を行ったとみるのが相当であると判示した。しかし、控訴人は、伝達マトリックス法にフーリエ級数を加えることを着想してから論文(甲第五号証)を執筆する過程において、被控訴人乙山から何ら指示、助言等を受けていない。
すなわち、原判決は、被控訴人乙山が平成二年一月二三日の日本舶用機関学会機関振動研究委員会において控訴人を寄稿者の一人として推薦し、その後控訴人が右講演申込をした旨認定し、その経緯から研究(一)の講演の過程に被控訴人乙山が深く関与している旨認定したが、控訴人が講演申込をしたのは、右委員会より前の平成元年一二月ころであるから、右認定は誤りである。
また、右講演申込の際、控訴人は題名を「高速ディーゼル機関クランク軸系のねじり曲げ連成振動に関する研究(第三報・三次元伝達マトリックス法による振動付加応力波形計算)」とし、共同研究者の筆頭者を岩本教授としていたところ、採用通知には、題名が「往復内燃機関クランク軸系の振動付加応力波形のシミュレーション」と指定され、筆頭者が控訴人とされていたため、控訴人はその指定に従ったのであり、被控訴人乙山から題名の変更等を直接指示されたことはない。被控訴人乙山が、控訴人に研究(一)の内容を指示し、控訴人と被控訴人乙山との間で相談がされていたのであれば、講演申込以前に題名を変更させるはずであるから、題名の変更等に被控訴人乙山が関与したとすれば、それは被控訴人乙山が研究(一)の内容を知らなかったということである。
5 被控訴人乙山は、K大学大学院工学研究科(以下「大学院」という。)の担当教員決定に関し、控訴人を予定教員から外すことによって、自らがマル合判定を得て大学院担当教員及び研究科委員長になろうという意図を有しており、これを実現する一環として、被控訴人らが業績書に事実に反する記載をしたものであるから、被控訴人らには、控訴人に対する加害意思がある。
すなわち、文部省の大学院設置認可手続に当たり、教員組織の審査がされるが、その際、予定教員とされたもの各自について、業績書に基づき担当適格者(マル合及び合)か不適格者かが判定され、大学院の担当教員となるためには、マル合又は合と判定されなければならない。そして、マル合及び合の判定は、過去三年間に筆頭者(ファースト・オーサー)となっている論文の数や発表先が最も重視されるところ、工学部の各教員が業績書を最初に作成した平成四年一月の時点でみると、それ以前の三年間に発表された論文のうち、控訴人及び被控訴人らが筆頭者となっている学術論文A(学会等の査読を通過して論文誌に掲載された論文)の数は、控訴人が二論文、被控訴人丙山が二論文であったが、被控訴人乙山は一つもなかった。そのため、客観的にみると、被控訴人乙山にはマル合判定がされない可能性が高く、場合によっては合判定さえされない可能性も全くないとはいえなかった。被控訴人乙山は、大学院担当教員になることはもちろん、研究科委員長に就任することを望んでいたが、同委員長に就任するためには、マル合判定がなければ学内から抵抗が出ることが予想されていた。
このような状況の中で、平成四年四月、被控訴人乙山は機械工学科の学科主任及び準備委員会の委員に就任した。そして、大学院の予定教員決定のための検討は、学識経験者等の意見も参考にしながら、実質的には各学科の関係者において行われていたから、機械工学専攻の予定教員の決定過程には、学科主任の被控訴人乙山も関与し、極めて強い影響力を有することとなったが、被控訴人乙山が学科主任に就任した途端、一旦は提出を求められた業績書に関する連絡が控訴人にはされなくなり、業績書を提出した機械工学科の教員のうち控訴人だけが予定教員とされなかったのである。
したがって、被控訴人らは、業績書に事実に反する記載をし、被控訴人乙山は、自らの業績書と内容的に齟齬することになる控訴人の業績書を文部省に提出させないようにすること、すなわち、予定教員から外すことによって、自らが合判定を得て大学院担当教員及び研究科委員長になろうとしたのであり、被控訴人らには加害意思があったものである。
二 被控訴人ら
1 被控訴人らの定義では、「解析」とは解析法を確立することである。これに対し、「計算」とは、解析法に則った計算手法の確立、計算の実施及び計算結果の検討を意味する。
控訴人は、解析式を立て、その解法(解析法)を考案することを「解析」であると主張するが、独自のアイデアを入れた振動モデル、原理等を組み込んでいないオリジナリティのない式は単なる数式であって解析法ではなく、その解法は解析式ではなく単なる数値計算法である。したがって、控訴人が「解析」と定義付けている作業は、被控訴人らのいう「計算」の一部である計算手法の確立である。
原判決は、被控訴人らが「解析」と定義付けている研究内容と、控訴人が「解析」と名付けた作業が同じであると誤解して、控訴人のいう計算とは被控訴人らのいう「解析」と「計算」をあわせたものであると判断しているが、これは誤りである。
2 被控訴人らの定義では、「実験」とは、実験装置等を準備して実験を実施することのみならず、実験結果を検討することまでを含む。控訴人は、既存の実験データを必要に応じて選択し、これを整理する作業を行っているから、「実験」を担当している。
3 被控訴人乙山は、次数ごとの振動解析法による計算結果が実験結果と一致することは確認していたので、その計算結果を用いて総和を取り波形のシミュレーション計算をした場合にも一致することは予測していた。そして、研究(一)において計算結果と実験結果が予測どおり一致するかどうかを確認した上、研究(一)の元原稿というべき乙第三六号証の内容を決定したのである。控訴人は、重要な振動波形がどれであるか十分に把握していなかったので、被控訴人乙山は、控訴人に対しその点を指示するなど、乙第三六号証の原稿作成の段階で全面的に関わっている。また、比較検討する波形の量が増えた際には、被控訴人丙山も検討を行っている。
したがって、「評価」を担当したのは被控訴人らである。
4 研究(一)について、各次数ごとの振動解析法による計算方法は、被控訴人乙山が考案したものであり、その計算プログラムも開発されていた。また、フーリエ級数は既知の数式であり、各次数の振動波形を合成したり分解したりできること及びフーリエの理論に基づく既知の数式を使って各次数に関するものを合成できることは、周知の事柄である。
そして、各次数ごとの計算結果の総和を求めれば、振動波形のシミュレーションができることは、当然予測可能であるため、被控訴人乙山の当初からの研究計画にも、計算結果の総和と実測波形を比較検討することが含まれていた。そうであるからこそ、研究(一)に必要な実験データは取得済みであり、計算入力データも、既に使用したものをそのまま入力できる状態にあった。
このように全てのお膳立てが整っていたから、被控訴人乙山は控訴人に論文執筆を勧めたのである。
したがって、研究(一)において控訴人が行ったことは、「計算の実施」であり、控訴人が、数式を付加して論文上表示したこと及び総和を求めるのに必要な計算プログラムを既存のプログラムに追加したことは「解析法に則った計算手法の確立」を一部担当したものであり、既存のデータを選択、整理したことは「実験結果の検討」に、得られた計算結果の正確さを確認したことは「計算結果の検討」にそれぞれ該当するから、控訴人の分担した研究内容は「計算」と「実験」である。
5 控訴人は、被控訴人らに加害意思があったと主張する。
しかし、控訴人は大学院担当教員の基準を満たしておらず、文部省に申請しても認められなかった可能性が高いから、申請されなかったのである。
第三当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がないと判断するところ、その理由は、次に付加・訂正するほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」と同じであるから、これを引用する。
一 二〇頁一行目の「解すべきであるが」から二六頁五行目までを、次のとおり改める。
「解すべきである。名誉感情は、自己自身で与える自己の人格的価値に対する評価であって、主観的な感情の領域の問題であるから、このような感情が無条件に法的保護の対象になると解することはできない。しかも、個々の人の、自己の人格的価値に対する主観的評価は、内心の問題であり、個人差が大きい上、他人のいかなる言動によって名誉感情が害されることになるか、害されるとしてどの程度かという点についても個人差が著しいものである。のみならず、もともと人が社会生活を送る以上、他人との摩擦は免れ難いし、何気なく言った言葉が他人の感情を害してしまうことはありがちなことであるから、その大多数は法的な責任の問題としてではなく、個人の良識と寛容の精神によって解決していくべき問題であると解される。
しかしながら、人は誰でも名誉感情を持っており、それが他人の行為によって侵害された場合には、他の人格的価値が侵害されたのと同様な精神的苦痛を受けることも否定できないのであって、これを全く法的保護に値しないということもできない。したがって、その態様、程度等からして社会通念上許される限度を超える名誉感情に対する侵害に限って、人格権の侵害として慰謝料請求の事由となるというべきである。
そして、学者が自ら行った研究について、その研究の価値を否定し、あるいはその研究を行うに当たって当該学者が果たした役割を否定するような行為に関しても、名誉感情が侵害される場合はあり得るから、そのような行為は、態様、程度等からして社会通念上許される限度を超える名誉感情に対する侵害であると評価される場合に限って、不法行為を構成するものと解するのが相当である。
そこで、以下では、本件各研究のうち、控訴人がとりわけ控訴人の名誉感情に対する侵害が顕著であると主張する研究(一)及び(二)について検討する。」
二 二九頁五行目の「実証データ」を「実験データ」と改める。
三 二九頁五行目の末尾の次に、「ただし、研究(一)及び(二)に使用したデータは、被控訴人丙山が本件研究グループに関与する前に得られたものである。」を加える。
四 三〇頁六行目から七行目にかけての「その後、原告は、」を「控訴人は、被控訴人乙山の勧めに従い」と改める。
五 三二頁八行目の末尾の次に、行を改め、次のとおり加える。
「控訴人は、研究(一)について、控訴人が講演申込をしたのは、平成二年一月二三日の日本舶用機関学会機関振動研究委員会において被控訴人乙山が控訴人を寄稿者の一人として推薦する前の平成元年一二月ころであるから、被控訴人乙山は研究(一)の講演の過程に関与していないと主張する。しかし、証拠(乙第四一号証の一、二、被控訴人乙山(原審))によれば、平成二年九月の同学会誌の特集号(甲第五号証が掲載されたもの)に掲載する解説などの寄稿者を各委員が推薦すべきことが同委員会で決められたのは平成元年三月一四日であり、被控訴人乙山は同委員会の委員長であったことが認められ、右事実によれば、被控訴人乙山は、平成二年一月二三日に控訴人を寄稿者の一人として正式に推薦する相当前から右推薦が受け入れられる見通しを持っていたことが容易に推認されるから、被控訴人乙山による右推薦が正式にされた日付が控訴人の講演申込の後であることは、被控訴人乙山が控訴人に研究(一)の執筆、講演を指示したとの前記認定に反するものではない。
また、控訴人は、被控訴人乙山が控訴人に研究(一)の内容を指示し、控訴人と被控訴人乙山との間で相談がされていたのであれば、講演申込以前に題名を変更させるはずであるから、研究(一)の講演の題名等の変更に被控訴人乙山が関与したとすれば、被控訴人乙山が研究(一)の内容を知らなかったということであると主張する。しかし、研究内容を指示しても、題名までは指示しないということはあり得ることであり、むしろ、控訴人の主張によっても、控訴人は研究(一)の題名等の変更に関与せず、被控訴人乙山が委員長である前記委員会からの変更指示に従ったというのであるから、右題名等の変更の事実は、被控訴人乙山が研究(一)の講演について主導的立場にあったことを窺わせるものである。
さらに、控訴人は、被控訴人乙山は研究(一)及び(二)の実験に関与していないと主張する。しかし、証拠(乙第二六号証及び被控訴人乙山(原審))によれば、右データ自体は岩本が昭和五一年にS大学で行った実験のデータではあるものの、被控訴人乙山は昭和四一年ころから岩本とともに本件研究グループを作り、昭和四五年から昭和五一年ころまでの間、岩本の右実験の前提となった実験を同人とともに行っていたことが認められ、右事実によれば、被控訴人乙山が研究(一)及び(二)の実験に関与していないということはできない。」
六 三五頁四行目の末尾の次に、行を改め、次のとおり加える。
「 この点につき、被控訴人らは、控訴人が「解析」と定義付けている作業は、被控訴人らがいうところの計算の一部である計算手法の確立に当たるものであると主張する。しかし、控訴人の主張する「解析」には、解析式を立て、解析法を考案することも含んでいる(甲第一七号証八~九頁)のであるから、被控訴人らのいう計算手法の確立に当たる場合のみならず、解析法の確立に当たる場合も含んでいることは明らかである。」
七 三五頁七行目の「被告丙山もこれに関与しており、」を削る。
八 三八頁四行目の末尾の次に、行を改め、次のとおり加える。
「 この点につき、被控訴人乙山(原審)は、研究(一)で控訴人がしたことは「計算」である旨供述する。しかし、同被控訴人(原審)は、研究(一)について論文として価値のあるところは、伝達マトリックス法にフーリエの理論を追加して一括した点であり、それは解析法に当たる旨供述するところ、伝達マトリックス法にフーリエ級数を実際に適用したのは控訴人であるから、研究(一)について(したがって、研究(二)についても)、解析を行ったのは控訴人というべきであって、被控訴人乙山の右供述は採用できない。
また、被控訴人らは、研究(一)において計算結果と実験結果が予測どおり一致するかどうかを確認した上、講演内容を決定したのは被控訴人乙山であるから、評価を担当したのは被控訴人らであると主張するが、最終的な確認はともかく、実験結果と計算結果の比較検討を中心的な立場に立って行ったのが被控訴人乙山であると認めるに足りる証拠はない。
さらに、被控訴人らは、既存のデータを選択、整理することが「実験」であるとの前提に立って、控訴人が「実験」をしたと主張する。しかし、昭和五一年に行われた実験結果のデータを、実験に関与していない者が約一五年も後に選択、整理することが「実験」であるとする被控訴人らの右主張は、「実験」という言葉の通常の意味と異なるものであって採用できない。」
九 三八頁末行の末尾の次に、行を改め、次のとおり加える。
「 なお、被控訴人丙山が、研究(二)の実験データ取得の際の実験には関与していないのに実験を担当したと記載されている点も実際の研究分担と相違しているが、右は控訴人の研究分担に関する部分ではない。」
10 四二頁末行の「2」の次に「(一)」を加え、四三頁三行目から四八頁一行目までを、次のとおり改める。
「その理由は次のとおりである。
(1) 研究(一)、(二)を含め、本件各研究は、被控訴人乙山を中心とした本件研究グループによって計画され、進められたものであり、被控訴人乙山によって指導され、方向付けられた一連の研究の一環であるということができる。
そして、研究(一)及び(二)も、フーリエ級数の導入による計算という控訴人が独自性を主張する部分を除けば、被控訴人乙山が執筆した論文の内容をほぼそのまま引用したものということができる(被控訴人乙山の執筆した乙第三五号証(「月刊内燃機関」平成二年三月号に掲載)と、研究(一)の論文である乙第三七号証(甲第五号証と同一のもの。平成二年九月発行の日本舶用機関学会誌に掲載)を対比すれば、控訴人の右論文には、被控訴人乙山の右論文の記載を若干組み替えて、ほとんどそのまま引用した部分が相当あることが認められる。)。このように、研究(一)及び(二)が本件研究グループによる一連の研究の一環であることを重視すると、被控訴人乙山の果たした役割には大きいものがあることになるから、研究(一)及び(二)について同被控訴人らがその業績書に前記のように記載した行為も全く根拠のないものということはできない。
(2) 業績書には、著書や学術論文等が共著の場合は、担当部分を「実験全般を担当」等と記載し、本人の担当部分を明確にできないときは、その理由を「共同研究につき本人担当部分抽出不可能」等と明記することとされているが、担当部分を記載する場合にどのような用語で各担当部分を表すか、どのような場合に担当部分抽出不可能とするについては、特段の規則があるわけではなく、各業績書を記載する個々人の学者としての判断と良心に委ねられているにすぎない(乙第六号証の一、二、第七号証)。
そして、研究(一)及び(二)とも、被控訴人らの業績書には、共同研究者として控訴人も掲記されている(甲第一、第二、第五、第九号証)。
そうすると、被控訴人らの行為は、控訴人の共同研究者としての業績を全く否定したものということはできないし、業績書の記載方法の規則に反してまで、ことさらに虚偽の記載をしたとまでいうこともできない。
(3) 被控訴人らの業績書の記載は、専ら文部省に対し、被控訴人らの業績を明らかにしようとするものであり、控訴人に対して向けられたものではなく、控訴人の業績を明らかにしようとする目的のものでもない。
また、業績書は、当該学者の自己申告として書かれるものであるから、業績書中の各業績について本人ないし共同研究者が果たした役割については、記載者の主観的な評価に基づいて記載されるものである。
このような業績書の性質からすれば、業績書の各業績について記載者本人が果たした役割については、本人の自尊感情も相まって、自己の評価等が過大に記載され、結果的に、共同研究者の評価が過少に記載されることも、見解の相違として起こり得るものである。そして、業績書の右性質は、業績書の右の点に関する記載が他人の名誉感情を侵害する程度が社会通念上許される限度を超えるか否かの判断に当たって斟酌されるべきである。
(4) 被控訴人らの業績書には、控訴人及び被控訴人らが共同研究に果たした役割が記載されているのみで、それに関する侮辱的表現、誹謗中傷的表現等は全く見当らず、また、控訴人に対して嫌がらせや攻撃をするような記載もない。
(一) もっとも、控訴人は、被控訴人乙山は、大学院の担当教員決定に関し、控訴人を予定教員から外すことによって、自らが合判定を得て大学院担当教員及び研究科委員長になろうという意図を有しており、これを実現する一環として、被控訴人らが業績書に事実に反する記載をしたものであるから、被控訴人らには、控訴人に対する加害意思があると主張する。
しかし、被控訴人らの内心に控訴人に対する加害意思があったとしても、被控訴人らの客観的な行為(業績書の記載)が前記の程度であることからすれば、右業績書の記載は社会通念上許される限度を超えて控訴人の名誉感情を侵害するものとまでいうことはできない(控訴人の大学院の予定教員から除外されたことによる損害は、本訴請求の対象となっていないから、本訴においては、業績書の記載が控訴人の名誉感情を侵害するか否かを判断すべきものである。)。
また、証拠(甲第三、第一七号証、乙第一号証、乙第九号証の一、二、第一〇号証、第一二号証の一ないし三、第一三号証の一、二、被控訴人乙山(原審))によれば、大学院設置基準(文部省令)により、大学院の教員は、「修士課程を担当する教員にあっては、次の一に該当し、かつ、その担当する専門分野に関し高度の教育研究上の指導能力があると認められる者、イ 博士の学位を有し、研究上の業績を有する者、ロ 研究上の業績がイの者に準ずると認められる者、ハ 芸術、体育等特定の専門分野について高度の技術・技能を有する者、ニ 専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有する者」と定められていること、大学院が設置された平成六年ころ、機械工学科の教員で博士号を有しない者は数少なく(一六名のうち控訴人と客員教授の齋藤孟のみである。)、他大学では、教授、助教授の募集に対する応募は博士号を有することが必要条件とされることが普通であり、助手の募集に対する応募も博士号を有するか取得見込みであることを希望されることが多いこと、控訴人は、平成元年、博士論文をまとめること等を目的として、K大学の承認を得て三年間の予定でS大学大学院に入学したものの、所定の単位を取得できず、平成二年末及び三年始めころ、S大学における指導教官である岩本から二度にわたり自主退学を勧告され、結局その後在学年数限度の最大六年間在籍して除籍となっていること、控訴人の業績として控訴人が挙げるものは、K大学の紀要に掲載された資料及びノートであって学術論文ではない三件を除けば、全て本件研究グループの研究に関する被控訴人らとの共著であること、大学院の担当予定教官は、工学部長である太田教授が決定したものであり、その決定過程では、同教授の意見のほか、教室会議等により機械工学科の他の教官の意見も反映されるものであるのに、被控訴人乙山が機械工学科の学科主任となった直後の平成四年四月二四日の段階で、既に控訴人は大学院の担当予定教官から除外されているにもかかわらず、控訴人が右のように除外されることが問題とされたような事情も窺えないことが認められ、以上の事実に照らせば、控訴人は大学院の教員の資格の基準を満たしていなかったから、予定教員から除外されたとする被控訴人らの主張も虚偽とは断じ難い。したがって、被控訴人乙山において、控訴人に対する害意をもって、同被控訴人の業績書を記載したと認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。
(二) また、証人宮崎(当審)は、被控訴人乙山が、大学院の担当予定教員の合教授となるために、被控訴人乙山の業績書の中で同被控訴人が、共著についてファースト・オーサーになるように著者名の順序を入れ替えた旨述べていた旨供述する。
しかし、被控訴人乙山がその業績書の中で、共著について同被控訴人がファースト・オーサーになるように著者名の順序を入れ替えたことを認めるに足りる証拠はない。かえって、証拠(甲第一、第二、第五、第九号証、控訴人(原審)、被控訴人乙山(原審))によれば、被控訴人らは、業績書の原稿(公開はもとより控訴人が見ることも予定されていない。)の段階では控訴人との共著について著者名の順序は入れ替えていないこと、研究(一)及び(二)の論文は公刊され、著者名の順序も明記されていて文部省側が調査をすれば虚偽の記載は簡単に発覚することが認められ、右事実に照らせば、被控訴人らが一旦原稿を作成しておきながら、後に著者名の順序を入れ替えた虚偽の記載に書き直したとは認め難いものである。したがって、証人宮崎(当審)の右供述は採用できない(なお、著者名の順序の入れ替えによる名誉感情の侵害は、本訴の対象とはなっていない。)。
もっとも、右供述は、共著の著者名の順序では控訴人がファースト・オーサーとなっている論文について、業績書の中では被控訴人乙山が中心的役割を果たしたように記載したとの趣旨とも解される。しかし、共著の著者名の順序では控訴人がファースト・オーサーとなっている研究(一)及び(二)についての研究分担に関する事実関係は既に認定したとおりであって、本件においては、被控訴人乙山の行為が社会通念上許された限度を超えて、控訴人の名誉感情を侵害するものとはいえないことは前示のとおりである
(三) なお、被控訴人丙山が、研究(二)の実験データ取得の際の実験には関与していないのに、被控訴人らの業績書では、同被控訴人が実験を担当したと記載されている点については、研究(二)の実験については控訴人も関与していないこと、控訴人も論文(甲第九号証)において被控訴人丙山を共同研究者としてあげていること及び被控訴人丙山は本件研究グループの実験には関与していることからすれば、右の点が控訴人の名誉感情を侵害するものとは認められないものである。」
第四結論
よって本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 矢崎秀一 裁判官 筏津順子 裁判官 山田知司)